July 15th
Democracy and National Unity Day

National Holiday
こんにちは。今回は、先日あったトルコの祝日である、「民主主義と国民統一の日(Democracy and National Unity Day)」についてわかりやすく説明したいと思います。 ところでですが、みなさんはトルコの祝日についてご存知でしょうか。今年の祝日をまとめるとざっと以下のようなものです。 Jan/1 新年(New Year's Day) Apr/23 独立記念日、子どもの日(National Sovereignty and Children's Day) May/1 労働者と連帯の日(Labour and Unity Day) May/13-15 ラマザン・バイラム(Ramazan Bayramı) May/19 アタテュルク記念日、青少年とスポーツの日(Commemoration of Atatürk, Youth and Sports Day) Jul/15 民主主義と国民統一の日(Democracy and National Solidarity Day) Jul/20-23 クルバン・バイラム(Kurban Bayramı Holiday) Aug/30 勝利の日(Victory Day) Oct/29 共和国の日(Republic Day) ラマザンの終わりにあるラマザン・バイラムは皆さんも聞いたことがあるのではないでしょうか。世俗主義の国家であるトルコですが、祝日はイスラム教とも深く関わっていることが理解できるのではないでしょうか。今回は上述したように、7月15日に祝われる「民主主義と国民統一の日」を解説したいと思います。(この祝日の名称は私が英語をそのまま日本語に翻訳したものなので、ご了承ください。)
Coup Attempt
さて、この「民主主義と国民統一の日」ですが、比較的新しく設置された祝日で、2016年に設けられました。これはトルコの政治と宗教に深く関わっているので、掘り下げていきましょう。まずは概説を述べていきたいと思います。 2016年、7月15日、この祝日が設けられた日にトルコで軍部によるクーデター未遂事件が起きました。まずはそのきっかけとなった、軍部内にいたギュレン派の将校の粛清について話します。ギュレン派は後述しますが、ギュレン派はイスラム系宗教組織の一つでトルコなどの中東地域のほか、ヨーロッパやアメリカにも影響力があります。このギュレン派はもともと穏健派の組織および運動とみなされており、2000年代は公正発展党(AKP)とも友好的な関係を築いていました。そして警察内や軍部内にもギュレン派が所属していました。しかし、政治的な方針の違いから公正発展党のエルドアン(現トルコ共和国大統領)政権とギュレン派は対立することになり、エルドアンは国家組織からのギュレン派の徹底排除として、強硬的にギュレン派将校の大規模逮捕を7月16日に予定しました。このクーデター未遂事件は軍部内にいたギュレン派のFETÖという政府が指定する「テロ組織」により画策されたと言われています。 事態が展開したのは現地時間金曜日の夜遅くでした。イスタンブールのボスポラス海峡にかかる橋が封鎖され、首都アンカラでは戦闘機やヘリコプターが飛んでおり、銃声も聞こえました。当時の首相であるビナリ・ユルドゥルムは即座にクーデターが試みられていることを知らせました。エルドアン大統領は当時休暇を取っていましたが、国民に街へ抗議に出ることを促し、彼自身もイスタンブールに戻りました。また、野党からも軍部による攻撃に対する非難の声があがりました。最終的に首謀したグループは支持を得られず失敗に陥り、治安部隊により参謀本部を含む基地などが奪還され、翌日の夜には勝利の歓喜によりエルドアンの支持者たちが集まりました。しかしながら、この事件で多数の死者を出し、負傷者は1400人以上にものぼりました。 その後は非常事態体制が敷かれ、ギュレン派に対する大粛清が行なわれ、17万人が捜査対象になりました。一方、この事件を国民の記憶に留めておくように、政府は象徴的な催事が実施されました。その一つはボスポラス海峡にかかるボアジチ大橋の名称が「7月15日殉難者の橋」に変更されたことです。さらに今回この話題を取り上げたように、7月15日に「民主主義と国民統一の日」が設置されました。そのほかモニュメントや博物館が建てられたりもしました。